言葉って一人歩きするから怖い。
僕らの業界も他の業界と同様にコンプライアンス(企業の法令遵守)で大きく揺れた。法令遵守は企業活動の中で当たり前のことだ。ここにきて声高に叫び続けることでもない気がする。
コンプライアンスという言葉が一人歩きして巨大な怪物のようになってしまい、日常の企業活動に対してコンプライアンス活動が大きな壁となっては困る。重箱の隅を突っつくような行き過ぎは困るよね。
同じような一人歩きは個人情報保護という問題でもあった。お客様に車検等のDMを出す際にも関係してきて頭を抱えたものだ。個人情報保護という名目で名簿等ができなくて不便な思いをしたことがある人も多いのじゃないかな?
検察審査会の結論についても「国民感覚」とか「市民感覚」「庶民感覚」って言葉が一人歩きしちゃうから怖い。証拠の隅々まで読み込んで検討を加えるのじゃなく、感覚で起訴・不起訴が結論付けられては当事者はたまったものじゃない。最終的には法廷で白黒がはっきりするからいいじゃないかという考えもあろうが、長い年月被告という立場に置かれることの苦痛は並大抵じゃない。冤罪も増えてしまうんじゃないかな?
実際には誰かわからぬ10人ちょいの人々の感覚なんだろうが、それが国民感覚とか市民感覚という言葉に置き換えられて一人歩きしちゃうのもいかがなものか。
市民革命を経ずして民主主義社会になった日本に、本来の意味の「市民」が存在するのかも疑問なわけで・・・そうなると裁判員制度も不安要素が一杯だ。
エコピットヨコハマ玉野自動車のお客様対応についても「お客様第一」という基本はあるが、だからといってそれは「とてもわがままなお客様」の言うとおりにするということではない。「お客様第一」という言葉を一人歩きさせてはいない。だって、この時代だから非常に困ることをおっしゃるお客様もいらっしゃるわけで・・・まあ、そのあたりは臨機応変に対応させていただいている。
抽象的な言葉っていうのは時として水戸黄門の印籠になってしまうから怖い。
そうそう、通勤道路の線路脇に彼岸花(マンジュシャゲ)が咲いていた。数日前に彼岸花がぎっしりと咲きそろって真っ赤になつた名所がテレビに出ていたが、全面真っ赤はいかにも品が無いように感じた。やはり緑の中にポツポツッと咲いているのが風情と品格があっていい。
言葉の一人歩きのこともそうだが、何事も「適度に・・・」というのがいいよね。